巧みなブログ

国語教育を勉強していた社会人一年目のブログ

公立校or私立校(コロナとか色々)

僕の想像等が含まれますので参考程度に読んでいただけると幸いです。

主に中・高について、最近考えたことをまとめます。

休校

多くの学校で休校が続いていますが、一口に休校といっても様々です。

4月から既に生放送や録画等で映像授業を始めている学校がある一方で、ただ課題だけ渡して自習という学校もあります。

映像授業はgoogle classroomとかclassiだとかを用いて行っている学校が多いようです。このコロナを経て、学校現場の情報化(?)が進めばいいなぁと思います。適切に使えれば授業の幅も広がるし、無駄にプリント刷らなくていいし…。

映像授業への対応はほぼ私立>公立

僕の周りの話を聞いたり何校かホームページをしらべてみたところ、私立校はほとんど映像授業かそれに準ずる休校対策をしているのに対して、公立校は課題だけを渡している学校が多いように思います。私立校が素早い対応が出来ている理由として下のようなことを考えました。

  • 学校にも家庭にも財政的に余裕がある。
  • 教育行政的に国や自治体から独立している。
  • (教員に広い意味で余力がある。)

映像授業をしようと思うと、最低でも全ての家庭に1台のパソコン(せめてスマホ)とそれに伴って通信料を準備しなければなりません。これが家庭で準備できなければ学校がパソコンやモバイルWi-Fiを貸し出す必要があります。これは恐らく公立校やその家庭には無理だろうと思います。

また、私立校は自治体とは独立しているため、学校ごとの判断で学校の方針を進めることができます。

さらに、対面授業を映像授業に作り替えるだけの広い意味での余力が公立校の先生と比較するとあるのではないかと思います。

公立校の対応が遅れてしまう理由は、私立の裏表ですが、下のようなことではないかと思います。

  • 学校にも家庭にも財政的に余裕がない場合がある。
  • 教育行政的に国や自治体と足並みをそろえる必要がある。
  • (教員に広い意味で余力がない。)

教育の流行り廃り

映像授業の話から逸れますが、「アクティブラーニング」とか「主体的・対話的で深い学び」のようなワードが流行っています。教職の授業や教育実習等でもよく指導されます。

アクティブラーニング的な授業をずっと実践してきているある先生から「少し前は授業公開とかすると『君の授業は大道芸みたいだね』と言われてた」というお話を伺ったことがあります。

何を言いたいかというと、公立校の授業、平たく言うと教育方針は10年20年でコロコロ変わってしまうということです。もちろん変わらないことは多いのですが、少し前まで「大道芸」とまで批判されていた授業が、今や書店に行くと国語関連の棚には「アクティブラーニング」「主体的・対話的で深い学び」関連の本ばかりが並んでいるほどもてはやされるようになっていることも事実です。

言い方はよくありませんが、こんな流行り廃りに公立校は多少なりとも振り回されざるを得ないのだろうと思います。一方私立校は、必ずしもこの流行りに乗らずともよいため、一貫した教育方針をキープできます。公立校の教員は異同がありますが私立はありませんしね。また、逆に流行りに乗ろうと思えば公立校に先駆けて乗ることも、私立校は可能です。

教育は不平等ですね

ここまで書いたように私立校の優位性は少なからずあります。そして、長くなるので省きますが公立校には公立校の良さがあります。わかりやすくするため除きましたが国立大学の附属のような学校もあります。

こどもや親がそれぞれの良し悪しを踏まえて自由に選べたらなにも言うことはないのですが、家庭の経済状況だったり地域格差だったり、こどもの努力ではどうしようもない理由で選択肢が狭まってしまいます。まぁ今に始まったことではないですが、このコロナ騒ぎでよりその不平等が目立っているように思います。

おわり

長い上にまとまらない文章になってしまいました。私立にも様々ありますし、一概にはいえませんが、こんな傾向はあるだろうと思います。

公立校の教員は流行り廃りに流されない自分のスタイルを持つ一方で、流行り廃りに柔軟に対応しつつ授業をしていかなければなりませんね。口でいうのは簡単ですが…。