巧みなブログ

国語教育を勉強していた社会人一年目のブログ

隠れたカリキュラム

自分の頭の整理を兼ねて…

隠れたカリキュラム(潜在的カリキュラム)

 学校では、学習指導要領やそれに基づいて作成される教科書等を用いて、意図的・計画的な指導がされています。しかし、児童生徒はこのような、学校や教員による意図的・計画的で明らかな指導によってのみ、知識や価値観を得ていくわけではありません。友人との人間関係であったり、教室の雰囲気であったり、教員の発言等から、児童生徒や教員が学んでいる・教えているという意識がなくとも、無意識に児童生徒は様々なことを学習します。このことを隠れたカリキュラム(潜在的カリキュラム)呼ぶそうです。反対に意図的で明らかな教育計画は公式的カリキュラム(顕在的カリキュラム)とのことです。

自分は隠れたカリキュラムから何を学習してしまったか

この隠れたカリキュラムによってたくさんのことを勉強してきたように思います。むしろ、日常生活を送るにあたっては公式的カリキュラムから学んだことよりも多いかもしれません。それは何の問題もないので、ここでは自分の学校生活を振り返ってみて、「なんとなくそれが正しい(当たり前の)ように思ってたけどそうでもなかったな」ということを挙げてみます。人に聞いた話は()にします。

  1. 学級委員長や生徒会長等は暗黙の了解で男がやる
  2. 運動会の応援団は男子、チアは女子
  3. 帰宅部は何か×
  4. 浪人は悪、一般入試で受かるのが偉い
  5. (勉強なんかよりはやく働いた方が偉い)

多分、ゆっくり考えたらもっとありますがとりあえずこのくらいで。

1. 小学校ではあまり感じませんでしたが、中~高では○○長とつくものはほとんど男子   生徒がやっていたような気がします。この雰囲気があるせいで徐々に男が上で女は  下という価値観が刷り込まれてるんだ、という話はよく聞きますし間違ってる訳でもない気がします。

2. 当時は何の疑問もありませんでしたが、大学に入って女の人が学ランで応援団してるのを見て、女子が応援団をする、という発想すらなかったなと思った記憶があります。

3. 僕の中学校は部活強制加入という訳ではなかったのですが、何となく先生からも生徒のなかでも部活は入るのが基本で、入らなかったり辞めたりした人はアブノーマル、みたいな雰囲気があった気がします。部活以外にやりたいことがあれば帰宅部になるのは何もおかしくはないはずなんですが(少し話が逸れますが、サッカー部とかバスケ部がカーストの一番上で文化部は下の方、みたいなこともあったように思います)。

4. 悪、というと言い過ぎかもしれませんが、必要以上に浪人を避ける雰囲気がありました。まあ、しないに越したことはないでしょうけど。また、大学合格といえば一般入試だ、的な雰囲気もありました。好きなやりかたで受けたらいいはずなんですが。

5. 教育困難校とかだと進学なんかするより、とっとと就職して働くのが偉い・かっこいいみたいな価値観があると聞いたことがあります。逆に超進学校だと東大京大に受からなきゃ負け組、とか。

おわり

 

 

よくない意味での隠れたカリキュラムによる価値観が児童生徒に伝わらないようにしたほうがいいと思う一方で、1,2,3とか、学校だけが変わっても卒業後に生きていく社会ではそのよくない価値観を持ってないと生きづらい(世間知らずというか常識知らずというか)だろうなぁとも思います。