巧みなブログ

国語教育を勉強していた社会人一年目のブログ

「資格は取っておいた方がいい」

一般的によく言われる「取れる資格は取っておいたほうがいい」っていうのがあんまり好きではありません。はっきりした理由があるわけではなくて、なんとなく嫌だ、くらいのレベルではありますが。

 

この嫌い具合が10分くらい前にちょっと変わりました、良い方向に。

特に理由もなく、神奈川県(僕は神奈川県が好きです)の私立高校の教員採用の募集を見てみたのですが、思ってたよりもたくさん募集がありました。たくさんの求人を見て「あ、もしも将来的に職を失うことがあっても、仕事はすぐ見つけられるかもしれない」と唐突に感じました。理解したと言い換えられるかもしれません。

「教員免許を持っている」から仕事がたくさんあるわけです。

学部生の頃にも「(将来のことを考えて)一応免許を取っておく」という人はたくさんいましたし、教員免許が職探しの保険になることは知っていたのですが、先ほど仕事を探す人の目線で求人一覧を眺めていったときに、「こんなに仕事がある」と妙に安心しました。まあ待遇は様々でしょうし、そもそも受からないと働けませんが。

 

この安心感が欲しくて、あるいは持たせたくて「取れる資格は取っておいたほうがいい」ということになるんだなと24歳になってようやく理解できた気がします。

 

 

ただ、就職のために資格を、という考えは流行りではないのかもしれません。インターンとか留学だとかを勧める記事をよく見ますし。それでも、インターンあるいは留学で学んだことは主観で語ることになりますが、資格は客観的にアピール出来る点で強いのでしょう(当たり前なことを書いてますが個人的に新鮮な気付きです)。4,6年で社会(企業)に求められる能力も変わるかもしれない一方で、資格は失効しなければ変わりませんし。

資格でなくても、自分の能力だとか実績だとかを客観的に評価できる形で残しておくといいのかもしれません。

 

 

「大卒」「国立大卒」「旧帝大卒」というのもある意味で資格みたいなものです。

よく進学校がその生徒にとにかく名のある大学を受けさせようとすることが批判的に語られますが、この資格の面から見ると(仮に学校側に実績を稼ごうという思惑があったとしても)学校にとっても生徒にとってもウィンウィンです。

国立大学に行けるくらいの学力のある生徒がやりたいことがあるからとよく分からない私立大を志望していたとして、教員としてはやりたいことを応援したいところですが、「国立大卒」の資格を手放すリスクについてもちゃんと説明すべきでしょう。

そのやりたいことは国立大じゃ出来ないのか、やりたいことがやりたくなくなったとき残るものはあるのか。

厄介なのは「国立大卒」の資格を失うことがどういった面でどのくらい痛手なのか、が高校生には(もしかしたら教員も)イメージしにくいところでしょうか。

結果としてとりあえず出来るだけ偏差値の高い大学を勧めてしまうのは仕方ないことかもしれません。

こういうことを考えると社会人経験のある教員が必要だと色んな方面から言われるのも分からないでもありません。ただ個人的には学校の先生くらい、世間ズレしていても理想を語る人たちでいてほしいと思います。生徒に嫌われがちな気がするところが残念ですが。