巧みなブログ

国語教育を勉強していた社会人一年目のブログ

読書感想文不要論に触れて

一昨日から昨日くらいにかけて、「読書感想文不要論」みたいな話がTwitter上で話題になってたので少し調べてみました。今季のテーマは「流行りに乗る」です。よろしくどうぞ。

1.個人的な思い出

僕は(も)読書感想文は嫌いでした。厳密には読書感想文がというよりも夏休みの課題全般が嫌い、という感じでしたが。記憶が正しければ小1~高1まで、10年間に渡って嫌々感想文を書いていました。一度何かしらに入賞したこともありましたが嫌いな事には変わりません。何が嫌だったのか思い起こしてみると、「読書を強制される(課題図書)」「原稿用紙何枚も書きたくない」と下に書くTwitter上の人々と同じようなことを考えていたようです。

話がそれますが、高1の時の課題として感想文が提示された際に模範例として昨年度(一つ上の先輩)の感想文をいくつか紹介されました。そこに尊敬する先輩の感想文もあり、題材は「神様のカルテ」でした。その日の帰りに駅の書店で「神様のカルテ」を購入して以来、新刊が出るたびに読むようになりました。昨年、友人の住む長野を訪れた際、偶然作中に登場する病院を発見して随分興奮しました。余談です。

 

2.Twitter上の主な読書感想文不要論

「読書感想文」と検索してみると色々な人が色々なことを言っていますが、大まかにまとめると以下のような感じです。

 

  1. 道徳性>文章表現の巧みさで評価される
  2. 自由図書と言いつつも暗黙の了解で選べない本がある
  3. ろくに指導もされずに「はい、夏休み中にやってね。」
  4. 強制されて読む・書くのなんて嫌だ。

後で詳しく触れます。

3.読書感想文の歴史

そもそも、読書感想文と一口に言っても、各自治体が主催するものから「夏目漱石コンクール」のようなものまで様々な種類があります。そのなかで、いわゆる読書感想文というのは正式には「青少年読書感想文全国コンクール」という名前です

 

この青少年読書感想文全国コンクールがスタートしたのは1955年だそうです。

発足の根拠の一つとして、「不良出版物」と「優良図書リスト」が説明されていました。簡単にまとめると、当時、児童・生徒に良くない影響を与えかねない不良出版物が流通する一方で、児童・生徒に読ませたい・読ませるべき優良図書のリストが存在しなかったため、例えば先生が「そんな本ではなくこれを読みなさい」と言いたくてもその指標になるようなものが無かった、ということです。そこで児童・生徒の本に対する関心を高め、読書指導の助けとするために青少年読書感想文全国コンクールはスタートしました。また、当時の「審査のめやす」も紹介されていましたので抜粋します。

  5.応募規定にあっていること

  6.学年相応の作品であること

  7.物の見方、考え方がすなおであるかどうかをみよう

  8.その子の図書選択の程度をみよう

  9.文の構成、表現、文字の使い方、書き方もみていこう

このような審査基準のもと選ばれた当時の優秀作品集は7,9のような「個別の作品の質」だけでなく、6,8のような「選書のあり方」を示す資料としての機能も持っていたとのことです。つまり、この優秀作品集は文の書き振りだけでなく、どんな本を選んでいるかも評価されており、これを読むことで児童・生徒が「物の見方、考え方」「文の構成、表現、文字の使い方」の模範として学ぶことが出来るだけではなく、「本を読んでみたいけど何を読んだらいいかわからない」ときに、入賞した人がどんな本を読んでいるかを知ることが出来る「優良図書リスト」としての役割を持つことが期待された、ということかと思います。

4.現在の読書感想文

ここから読書感想文について調べることができます。

読書感想文全国コンクール公式サイト

現在の「審査のめやす」のようなものがあるかと探してみたのですが、見当たりませんでした。しかし、少し検索してみるとこんなものがありました。岡山県の審査基準です。他の自治体も大体似たような基準なのではないでしょうか。

http://sla.gr.jp/~okayama/conc/bun/bun_syocyu/4.pdf#search=%27%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E6%84%9F%E6%83%B3%E6%96%87+%E8%A9%95%E4%BE%A1%E5%9F%BA%E6%BA%96%27

 

ざっと目を通すと、発足当初と変わらない部分も多いのですが、「生活と結びつき、正しい道徳性、生活の向上や人生観の確立、豊かな情操の表現などについて自分の生活に結びついた感想が表現されている」という文言があります。いつからこのような文言が加えられたかまではわからないのですが、少なくとも24歳の僕よりも下の世代の人たちは発足当初にはなかった(明示はされていなかった)この審査基準のもと感想文を書いていたことになります。

5.問題点とそれについて思うこと

ここまでを踏まえて、2.で挙げたもの+αについて少し書きたいと思います。推測の域を出ないことも多いかと思いますので参考程度に読んでいただけると幸いです。

・道徳性>文章表現の巧みさで評価される

➡こう主張する人が多いですが、多くは審査する側に回ったことのない人だと思 いますので「そんな気がする」の域をでない場合がほとんどだと思います。ただ、「比喩表現が出来てるから加点!」みたいに、文章表現の巧みさを客観的に評価し切ることは出来ないので大体同じくらいの文章の上手さの作品が並んでいたら道徳性が評価できる方を選ぶと思うので、「道徳的なこと書いといたほうが評価される」というのは否定できないでしょう。

・自由図書と言いつつも暗黙の了解で選べない本がある

➡厳密には「選べない」のではなく「選んでも評価されにくい」ということだと思います。ちょっと検索すればNAVERまとめとか「〇〇書店のおすすめ図書」のようなものがいくらでもヒットするとはいえ、3.で書いたような「優良図書リスト」としての機能を考えると仕方ないのかもしれません。

・ろくに指導もされずに「はい、夏休み中にやってね。」

➡個人的にはこれが一番問題じゃないかと思います。応募規定によると小1は800字、高校生は2000字ですが、小学生にしろ高校生にしろ、国語に限らず学校の授業でこんな分量の文章を書く機会なんてほとんどないといっていいと思います。しかも、少なくとも僕は書いたら書きっぱなしで、その後先生から「ここがよかった」とか「ここはこうしたほうがいい」とかもありませんでした。

・強制されて読む・書くのなんて嫌だ。

➡こういう書き方をすると怒られそうですが、読書が嫌いな人は感想文があろうがなかろうが嫌いなんじゃないかと。「読書感想文がきっかけで読書そのものが嫌いになりました」という人は他の色々と相まって嫌いになっているのではないでしょうか。個人的には余談で書いた「神様のカルテ」だったり、感想文ではありませんが高校の指定図書で読まされた「科学の考え方・学び方」のおかげで新書の存在を知ったりと、その後の読書生活に繋がる経験が多いので、学校から強制されてでも、良いとされる本を読む経験はあったほうがいいと思います。

 

・盗作

参考にした本にも記述がありましたが、盗作とか他の人に書かせるとかは難しい問題だなぁと思います。実際、知恵袋その他には夏休みになると代行依頼が溢れてます。ですが、そんなふうに書かれたものを提出されても先生は判断できないでしょう。先ほど紹介した読書感想文のHPには「困ったら家族に相談してみよう」みたいなことが書いてありますし、普段書かせていない分量を強いるわけですから書き振りが変わることも大いに考えられます。一人一人の盗作チェックをしてられるほど先生は暇でもないですし。

まとめ

読書感想文が優良図書リスト作成の役割を担っていた(いる)こと初めて知りました。

現在出ている不要論も言いたいことは分らんでもない、といった感じです。

最後に二つだけ書きます。

まず、「道徳性が評価される」ことについてです。先に読書感想文の審査の仕組みを簡単に説明すると校内➡市区町村➡都道府県➡全国コンクールの順で審査が進んでいきます。最初の校内審査を務めるのはクラス担任・国語の先生です。現場の忙しさに加えて、「このクラス(学年)の代表作品を自分が選んだ」という責任を負うことになります。周囲の目もあるなかで、「道徳性を評価しない」という勇気を持って審査できる先生は多くないでしょう。特に国語の専門でもない小学校の先生に「他に道徳的なことを書いてる作品はありますが、道徳性がなくてもそれを補うほどの文章表現の巧みさがこの作品にはあります」みたいなことを求めるのは酷ではないでしょうか。一方で、道徳性を評価するのならば、最初からそう伝えてしまえばいいのではないか。岡山県が公表しているような審査基準があるのだから「読書感想文では、読書体験を通して自分が学んだ道徳的なことについて、文章表現に工夫しながら書いてみましょう」と言っておけば不満もでないのではないでしょうか。

次に「ろくに指導もされない」ことについてです。これは読書感想文に限らず、国語科の「書くこと」指導の軽視にも関わってくるのかもしれません。「書くこと」は詳しくないのでここではあまり触れずにおこうと思いますが、感想文を書く前でも書いた後でも、何かしらの指導に繋げられればこんなに不要論も出ない気がします。なかなか難しいのだとは思いますが。

参考

読書教育の未来

登場した本

神様のカルテ (小学館文庫)

科学の考え方・学び方 (岩波ジュニア新書)

おわり

一生懸命書いたので疲れました。「ろくに指導もされないのやらされる」という意味では自由研究もそうだと思うのですが、自由研究不要論はあまり見かけませんよね。なんで読書感想文ばかりが青少年の敵課題みたいに扱われてしまうのでしょうか。