巧みなブログ

国語教育を勉強していた社会人一年目のブログ

スクールカーストとか陽キャとか陰キャとか

時間が微妙に余ったので今日はもう一本。

スクールカースト

本棚の整理をしていたら、この本が目についた。

 

 

高校生のときに、使っていた駅の書店で見つけて買った新書。

教室や学年のなかの序列のようなものは(特に中学校では)感じていたし、どの学校でもあるものだと思うんだが、それはあくまで感覚的な話というか、ブラックボックスというか、暗黙の了解だと思っていた高校生の僕は、この本を読んでそれを指す学術用語があることに衝撃を受けた。

 

衝撃は受けたものの当時は(今も?)そんなに一般的な用語ではないのがせめてもの救いだったように思う。

陽キャ陰キャ

体感だと僕が大学に入る前後くらいによく見聞きするようになった気がするので、5,6年くらい前だろうか。大学生とか社会人が使っているのを見たり聞いたりする分にはあまり気にならなかったのだが、去年から行くようになった高校で高校生が使っているのを見たときは、これがまた衝撃だった。

これだけ普及していれば、高校生が使っていても何も不思議ではないんだけど、ある程度分別があり、自分の性格に良い意味で諦めがついているような大人が使うのとは意味が違う気がする。

先述したようにスクールカーストのように、こうした用語が普及する前から、誰もが自分あるいは他人が教室のなかで「陽」なのか「陰」なのかをなんとなく認識していたと思う。この「なんとなく」がポイントで、自分の性質・属性をぼんやりと、相対的に感じるにとどまっていたのではないか。

これが、陽キャ陰キャという用語が出来たことで、その用語を使うことで、それまでなんとなくぼんやりしていたものが、はっきりした絶対的なものに感じるようになったのではないか。

自分の性格との付き合い方が上手くない思春期の時期に、「お前は陰キャ」だとか「あなたは陽キャでいいな」とかって言われることは、何と言うか、言葉による呪いを受けることにならないか。

性格なんてこれからいくらでも変わるのに、他のコミュニティにいったら相対的には違っているかもしれないのに、「自分は陽キャ陰キャ」であると思い込むようにならないか。

おわり

もちろん、用語ができる前でも、クラスメイトに言われた言葉が性格形成に影響を及ぼすことは多々あったと思うんだけど、明確な用語が出来てしまったことはあんまり好ましくない気がする。