巧みなブログ

国語教育を勉強していた社会人一年目のブログ

ヒゲ脱毛、始めました

ヒゲ脱毛の効果とかについての記事ではありません(まだ効果を語るほど通っていないので)。

 

なぜヒゲを脱毛するのか

なぜ脱毛するのか、と聞かれれば、当然答えは「髭が濃くてそれが嫌だから」である。

なぜ濃いのが嫌なのか、と聞かれれば、「朝剃っても夕方には生えてくるから」である。

なぜ夕方に生えてくるのが嫌なのか、と聞かれれば(そろそろしつこい)、「髭の処理(身だしなみ)をきちんと出来ない奴だと思われそうだから」である。

他にも、髭剃りの手間が減るだとか、肌荒れしにくくなるとか、色々とメリットはあるけど、僕が脱毛を決意したのは髭をきちんと剃ることに意識が向かない男だと思われたくなかったというのが一番大きい理由のように思う。

髭がある程度生える方はよく分かると思うが、出勤前にいくらしっかり剃ったとしても夕方には「今日は剃り忘れたんですか?」くらいの状態になってしまう。夕方から会う人には髭を剃ってないように見える。

そんなのイヤだ!!!

他人からどう見られるか(見られたいか)

僕はヒゲ脱毛によって「髭をきちんと剃ることに意識が向く男」に見られたい。

世界に自分しかいなかったら、ほど話を大袈裟にしなくても、あんまり他人と会わないような仕事に就くのなら脱毛しなかっただろう。むしろ顎髭を生やしてみたい願望がある。

僕は「A.自分がどう見せたいか(あごひげ)」よりも「B.他人からどう見られたいか(脱毛)」を優先するタイプのようだ。少なくともヒゲに関しては。

ここまで抽象的にしてみると、自分の服の選び方にも考えが及ぶ。

 

僕は服に関してもB.を優先することが多い。おおよそ、A:B=1:4くらいで服を選んでいる。

このため、自分の服を古いものから新しいものに並べてみると、それはそのまま「自分がどう見られたいと思っていたか」の歴史的変遷になる。

この時期は「青とか白」の「襟付きシャツ」を買ってるなとか、この時期は「派手な柄付き」の「フード付きパーカー(フーディー?)」だな、みたいな。

 

加えて、僕は単純に「こう見られたい」と考えるというよりは、「こう見られている自分が嫌になったからそうじゃなくこう見られたい」といったように、その時々の見られ方への反動で次の見られたい願望が決まるような傾向がある。

 

並べられた服に目を戻すと、大学2~4年生くらいに買った服は「大人っぽくて、清潔感があって、ちゃんとして」そうに見える服が多い一方で、修士に入って以降は比較的「ちゃんとして」なさそうな服を買っている。大学を卒業するくらいのタイミングで転換点があるように見えるし、なんとなくちゃんとしてなさそうに見られたく思っていた記憶がある。

 

自分ではこう思うというだけで、他人から見たら「いつも同じような見た目しているじゃん」と言われそうな気もするが。

 

おわり

こんな風に考えるようになったのは、どこかで「自分をどう見せたいかでなく、どう見られたいかで服を選ぶ」みたいな文章を読んだからなんだけど、どこで読んだのか忘れてしまった。

ヒゲ脱毛について調べてたからか、最近はYoutubeでやたらと「髭が濃いせいで女性にモテない男」の広告が出てくるし、惰性で最後まで観てしまう。