貧乏な教養人はいない
少し前からこれに行きたいと思っている。
オラファー・エリアソン ときに川は橋となる | 展覧会 | 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
この状況なので、このためだけに都内に行く気にはなれないでいる。展示が終わる前に観られるといいんだけど…。
昨年度までの自分なら、ここに行こうとは思ってない気がする。でも今は行きたい。
何が変わったのかと考えてみると、恐らく、「少しばかり金を持つようになった」ことが要因な気がする。
僕は絵画、音楽、その他芸術に相当疎い。
つい最近フェルメールに少しだけ詳しくなったくらいだ(これも大学院の授業に必要だったから)。
こんな僕なので、見たり聴いたりしても大して何のことだか分からんものに1500円、もしくはもっとお金を払う気なんて滅多に起きなかった。
それが今年度、国からの給付金をそのまま貯金してあったりとか、非常勤講師等の収入はさほど変わらなかった一方で、旅行も飲み会も無くなったことで支出がずいぶん減ったりとか、まぁとにかくちょっと貯金額が増えた。
お金に余裕が出来たことで、「何だかよく分からんけどちょっと行ってみるか」という気持ちになってきた。
タイトルには端的に教養と書いたが、「文化的に豊かな生活」と言い換えてもいいかもしれない。
文化的に豊かな生活を送るためには、ある程度豊かな貯蓄が必要なのかもしれない、少なくとも僕みたいなタイプの人間には。
何をもって文化的とするかは難しいけど、例えば僕の場合はあんまりお金が無くても本を買ったり、美味しいものを食べたり、旅行に行ったりはしたいと思う。ちょっと余裕が出来たから展覧会に行こうと思うようになった。
お金が無くても展覧会には行く、でもお金が出来たから本でも読んでみようかしら、みたいな人もいるだろう。
こんなことを考えると、「教養を得るにはお金が必要」というのはある面では事実である気がする。少し乱暴な言い方だけど。
いや、そもそも教養っていうのは昔から上流階級の人たちのものだったか。教養があっても直接生活の糧にはならないことが多いし。
そう思うと、ちょっと背伸びすれば教養に手を出せるんだからいい時代に生まれたかもしれん。